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サイレンマジョリティ

マジョリティとマイノリティ。

マジョリティとは多数派、マイノリティとは少数派のことである。

何を取っても、多数派と少数派に大別されるのは世の常であり、常にマイノリティであれば社会的なレッテルは多く持つことになり、常にマジョリティであれば付和雷同、良くも悪くも平凡的となり埋没する。

例としてファッションを挙げると、奇抜なデザインの服を毎日着てれば「一人パリコレ」と揶揄されることになり、毎日ファーストファッションを着てれば「量産型」と笑われる。世の中とはそんなものである。

出る杭は打たれるし、出ない釘もまた埋没するように打たれるのだ。

ELOという雑誌がある。

決してロリコン御用達の雑誌ではない。

高校生大学生向けのファッション雑誌であるが、良くも悪くも量産型なのである。街中の大学生を見てほぼ2/3ぐらいの人間がこんな格好をしているのではと思うぐらいである。

こんな人間たちが、チェックシャツをオタクファッションとバカにしてたのは面白い。

根本的にはガンキャノンガンタンクぐらいの差でしかないのである。


結局のところ、個性取って付けたもので、あってないようなもので、マジョリティもマイノリティもないのである。

思い出のパーマ

ルソーは「はじめは人間に生まれ、次に男性か女性に生まれる」とエミールの中で書いたが、人間とは最初はただの子供という括りで生きて、そして二次性徴ないし思春期を迎えて男と女に生まれ変わる。平たく言えばこう言うことである。
男は女を理解しようとし、また女は男を理解しようとするのは、古今東西を問わず、人としての永遠のテーゼであると言っても過言ではない。
思春期になれば誰もが洒落っ気づき、髪型や服装といった外見を異性の目からどう見えるかということを気にし始めるのは当然と言える。斜に構えたほうがカッコいいとか、前髪をひたすらいじってみたりなど、無意味な努力や思考を経て、大人になっていく。
そうやって、みな青春をドブに捨てるのだ。
ドブに捨てるだけで済めばいいのだが、大抵の場合そうはいかないのであって、誰もが公言することを躊躇う過去、すなわち「黒歴史」の一つや二つはあるだろう。
ドブに捨てるどころか、多くの過去の思い出は粗悪な粗大ゴミである。

私も洒落っ気づき、パーマをかけたことがある。だいたいいつも、マッシュで通してきたのだが、たまには変わったことがしたいとイメチェンをすると周りから似合ってないの嵐が飛んできたので、朝セットしなくて良くて、かつオシャレに見えなくもないマッシュで通してきた。あんまりキノコキノコするとバナナマンの日村になりそうなので、ツーブロを入れてなんて一応気にはしていた。
で、イメチェンがしたい衝動に駆られて美容室を予約してパーマをかけた。切った直後の周りの評価はまあまあだった。
しかし一ヶ月もすれば髪は伸びるし、パーマで傷んだ髪がクルクルとして無造作になっていく。無造作系と言えば聞こえがいいが、収集がつかない状態である。ワックスしても、アイロンをかけても収集つかないのである。
そんな髪型を同級生の女の子に言われた一言
「髪型 陰毛みたい」
花も恥じらうお年頃の乙女に言われた一言は、私とってショック以外の何物でもなかった。デリカシーのない女の子だったと言えども、まだ汚いトイプードルのほうがマジだったと思う。なんとか笑って誤魔化したが、すぐ美容室を予約して、バッサリと切ってもらった。こうして私のパーマデビューは黒歴史として幕を閉じたのである。
ちなみに、バッサリ切った直後にその女の子からはベタ謝りされた。
「気にしてないよ。ただそろそろ髪切ろうと思ってたし、ちょうど良かった感じ」
完璧なホワイトライ。
こうして、少年は大人にまた一歩近づいたのだった。

私は貝になりたい。

世の日本の男性は草食系男子になっていると言うことが叫ばれて数年。

草食系男子に肉食系男子にロールキャベツ系男子など、とりあえず生中って感じで分類しておけばいいと風潮は昔からあり、しょうゆ顔とかしお顔とかソース顔とかの話で、ソース顔は辛うじてイメージがつくけど、しょうゆ顔としお顔って想像だけではイメージが全く湧かないのはきっと気のせいではないだろう。てか、みそ顔とかあったら、結構なレベルで失礼だろ。ブスに向かって、ドムっていうぐらいのレベルで。


この草食系男子も多くは、(ただしイケメンに限る)がつくことを忘れてはならない。女性にとって、一般的にnotイケメンな草食系男子は人畜無害の背景ないし都合の良い草木レベルだということは自覚しなければならない。せいぜい海に落ちている貝殻程度である。

なんと酷いことをいうと思うかもしれないが、熱くならず冷静に考えて欲しい。自分ではクラスヒエラルキーが高いと思ってる無駄に態度も体型も厚かましいブスと、単なる普通のブス。どっちがマシかと聞かれれば言うまでもなく、後者である。居てうざったいよりは人畜無害のほうが圧倒的にマシなのである。

何が言いたいのかと言うと、求められているのは草食系男子ではなく、イケメンであるということである。草食系男子(イケメンを除く)は無理に肉食になる必要もなければ、そもそもその存在の有無など求められておらず、草木は所詮草木であり、背景は所詮背景ということである。


と、友人と友人の彼女に誕生日会をして貰って、家に帰って「もしかして」と思いながら、ウィスキーを煽りながら涙目になりつつ書いている。

私は貝になりたい







六畳辛話大系

「あなたは運命を信じますか?」といういかにも安い文句を投げかけたい。
これ絶対当たらないだろと思うようなネット広告の占いみたいな文句を。
占うのに1000円から2000円ぐらいボッタくるようなネットの占いの話はともかく、僕は運命は信じない。
信じたところで何のメリットもないからだ。

運命を神様に変えても同じことをいうだろう。
神様なんて信じない。
寺社仏閣巡りが趣味の人間だとは到底思えないような発言であるが、信じたところで救われる見込みもないのでやはりメリットはない。
寺社仏閣でおみくじがあれば必ず引き、やれ大吉だやれ小吉だなんて、一喜一憂している人間とは到底思えないだろうが、信じないのである。
最近引いた恋愛おみくじで、他に気を移すと凶運を招くって、今の俺じゃん!とか思ってる人間もまた同じ人なのである。
だって、脈無いどころか連絡すらないんだもん。無理無理。

今回誕生日を迎えるに当たって、友人と賭けた。
あの子から誕生日おめでとうが来るか。
僕は一笑して、来るはずがない。と答えた。
内心期待してないと言ったら、嘘だ。
心の底かどこかでは期待している自分がいる。

結果は、来るはずもなかった。
それはそうだ。来るはすがない。
運命なんてなかった。
運命なんて、コロッセオで猛獣に弄ばれ死にゆく闘士のように観客に嘲笑いされながら消えて仕舞えばいい。
そして、ずっと六畳の一室に囚われていればいい。